性格が激しいせいか、音楽は大音量のものが好きだ。好きな音楽は人それぞれだが、私の好きな音楽には特徴があり、シングルの同一系統の楽器又はシンプルな主題の高低を繰り返すものを好んで聞く。前は、このような自分の好きな特徴というものを探索しなかったし、分かろうとしなかった。ここ最近で、ようやく好きな傾向の音楽というものを自分で自覚するようになった。これは、我ながら大きな進歩だと思う。感性的なものは、なんとなくしか分からないのが普通だし、考えること自体が論理的でないので思考を途中でやめるからである。

 北海道への旅行をこの10年ぐらい、毎年のように行っている。自分の車でフェリーに乗って行くので、必然的に音楽を車内で聴くようになるのだ。この時期、中古CDを大量に購入するのだが、当然ながら、当たり外れがある。「これは、当たり」ということを運転しながらつぶやく。それを繰り返しているうちに、一定の傾向というものを自覚するようになった。

 かっこよく言えば、自分との対話だ。これは、一人じゃないとできない。音楽は、車窓から流れる風景とよくマッチする。しかも、音楽は思考をテレビのように中断しない。ラジオは全く聴かない。専ら、CDの音楽だ。最近は、スマホやipodなどに自分の好きな音楽のみを入れて聴くことが主流のようだが、これだと新しい曲を開拓できない。やはり、中古CDに勝るものはない。

 アフターフォーティやアフターフィフティのような年代だと、フォークやニューミュージックといった分野が全盛だった頃に青春していた世代である。50代の私も、好んで、このジャンルのCDを購入する。もちろん、いぶし銀のように今も勢力を保っている歌手もいる。例えば、ユーミンもその一人だし、小田和正もいい曲を歌っている。

 最近、西城秀樹が亡くなった。新御三家と言われる年代と私の年は離れているし、その頃の私は「チャラチャラしているものが嫌いな硬派」を標榜していたので、あまり彼らの曲は聴いていないが、亡くなったときいて、ベスト盤を購入して聴いてみようという気になった。昔の歌手は、歌が上手いと思う。例えば、岩崎宏美の歌唱力は抜群だ。情感があるし、声の厚みと張りとボリュームがジェットコースターのようにアップダウンする。北海道の景色と完全マッチする。

 しかし、実は、一人の歌手のみでCDのすべての曲を構成している場合、聴いていると正直、飽きる。いろんな歌手が歌っているオムニバスCDや、歌のない音楽CDもいい。フュージョンや軽音楽がその代表だ。

    雨が降ってきたとき、虹が見えたとき、その時にかかっている音楽は何だろうか。

 今年は、クラシック分野の中古CDも購入した。展覧会の絵、新世界から、はげ山の一夜、ベートーベンの9つの交響曲すべて、ボレロ、エドガーの行進曲、そしてなにより、チャイコフスキーの1812年。私の今のマイブームは、1812年だ。とにかく、威勢がいい。フランス国歌のラ・マルセイユも挿入されていて、最後シンバルがバーンバーンと鳴らされて終わる。これは、いいぞ。クラシックの合間に松田聖子も聴こう。これが、なんとも癒やされる。ドライブと松田聖子はセットだ。クラシックの奏者たちは、松田聖子の何千倍も練習して名演と言われる演奏を行う、しかし、CDの売上枚数では、そんなに努力していない松田聖子に負ける、価値と販売数は違う、などと考えながら、今年も北海道を回りに回ろう。松田聖子の中で私の最も好きな曲「ストロベリータイム」は、どういうタイミングやシーンで流れるだろう。イントロのときにめいっぱいボリュームを上げることを自分で予想しながら、シルバーフェリーの予約をいま、クリックした。

平成30年6月10日  北海道の流れる風景と元気のでる音楽  公認会計士 村山秀幸