新年が明けた。昨日(大晦日)と全く同じ一日なのに、こんなにも違うとは驚きだ。
意識の問題なのだろうというほかない。新しい一年だと思う心と、今年一年どのような年になるのか、自分がどのような年にしていくのか、という思いが、「元旦は昨日と違う一日だ」という気分にさせているようだ。本当は同じなのに・・・。
こう考えると、何事も気持ちしだいなのだと思える。今は鮮明に覚えていないが、昨年中に執筆した原稿の期限のことで、ギリギリ間一髪だったこともあったが、そのときの気持ちはどうしようもないと達観したものだった。たまに締め切りを守らなくてもいいのではないかと割り切ったら、意外と早く原稿執筆が進み、何か慌てるということはなかった。
そんなものかとその時は思ったが、こうして元旦の一日を過ごしてみて、その時の楽観や悲観は、ツクヅク、その時の気持ちやとらえ方しだいなのだと思われる。
つい2日前の12月30日に仲間3人で1年ぶりに酒を飲んだ。その時に、仲間の一人は「人生は疲れる」と言ったが、別の仲間は「人生は楽しい」と言った。楽しいと言った方が、生活や経済的には苦しいだろうと想像するのに、である。
楽しいと思える心境を聞いたら、その仲間が言うには、「過去のことは全てチャラにしてこれからのことのみで考えるようにしている。」ということであった。すると、過去の自分の成功や失敗をあれこれと考えなくなったというのだ。例えば、現在の年収を過去と比較してあの時こうすればよかったとか、こうしたから今の収入があるなどと、気持ちの振幅を大きくすることもないし、失望したり得意になったりすることもなく、今の状況をなにものとも比較せず、ただ、自分がそれで懸命に生きていれば、それでどうすることもできないし、「それでいい」と仲間は私に言うのである。
われわれは、観念に縛られすぎる。カネの意識に縛られ、世間体に縛られ、プライドに縛られ、過去の自分に縛られる。なにものとも比較しない、という方法は、こうした観念から自由でいられる一つの方法であるかもしれない。過去のことを一旦すべて忘れて、これからが、まさにスタートだと考える。現在の有している思考方法、体力、家族、友人、境遇、人間関係、体験や経験、人から言われたこと・されたこと、などに関して、今までのいきさつや過程については、いったん、何も一切考えず、今がスタートだと思う心持ち、現在が所与(突然、天から与えられた)だと思う気持ち、これが人生を楽しむコツだということか、とも思う。ただ、そのような過去と決別した気持ちや考えには、なかなかなれないのも事実だ。このことを仲間に聞いたら、「それは、そう思わなければ」と言った。そうか、自然とそうなるのを待っていても仕方がないのか、そう思わないといけないんだなと悟った。また、村山は先を予測しすぎる。誰もが予測は外れるのだから、それを必要以上に考えることは楽しみから外れることになってしまう。僕は、あまり将来を悲観的に考えていない。ただ、それに備えての用意はしているし、それはほんの一瞬、心をガードすればいいんだ。それをやるのが、元旦なんだよ、と言った。
平成28年1月1日 53回目の誕生日に 公認会計士 村山秀幸