今日は6月12日だ。時が過ぎるのは本当に早い。同時に、この半年で何をしてきたのか、と思う。今年の12月には、この一年で何をしてきたのかと考えることにならないか。
それは、とりもなおさず、この3年で何をしてきたのか、この10年で何をしてきたのか、 社会人になってから、何をしてきたのか、と疑問の連鎖が起こることになる。
これは、すなわち、はっきりと言えなければ、人生終わりのときに、人生で何をしてきたのかと、究極的には、自分で自分に問うことになるのだろう。
まず、何かを目指したのか?
新たな行動に一歩踏み出したのか?
生き方に一貫性があったのか?
自分の満足や充実感が得られたのか?
失敗や反動を恐れて、萎縮していなかったか?
所詮、自らの存在は長くても40年後には死んでしまう、ちっぽけなものでないのか?
死ぬこと以外はかすり傷だ。
新しい自分になるため、自分にチャレンジしなければ、何も始まらない。
自分の手帳にも書いてあるではないか。
「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」と。
行動しなければ、0.00001も進まない。
何を目標にして生きるのか。それが問題だ。
楽しさを追求するという人がいる。
楽しい時間やワクワクする時間が人生のすべてを占めたら、それは本当に楽しいのか。
長時間、楽しく、ワクワクする時間なんてあるのか。
それは、何かにチャレンジして、悩み、苦しみ、もがき、泣き叫ぶ日々があったから、楽しいのではないか。それが、本当の楽しさ、充実感に繋がるのでないか。
事業を拡大して、いわゆる「成功」することを追求するということを目標にする人がいる。経済的な豊かさを追求するという人がいる。
しかし、墓場まで事業やカネ・財産を持っていくことはできない。
惨めな死に方をするのか、盛大な死に方をするのか、そんなことは死ぬという事柄に取ってみれば、些細なことだ。
人は、独りで生まれ、独りで死んでいく。自分の身代わりになる人は誰もいない。
むなしいのだけれども、それが人生だ。
高杉晋作も言っているでないか。「おもしろきことも無き世をおもしろく」。
1月から6月までの半年を総括する必要がある。
それが、人生を総括することに繋がるのだ。
H29.6.11 自分の確固たる目標やビジョンが頭の中でカラー写真になる日はいつか? 公認会計士 村山秀幸