8月10日から16日まで、毎年恒例の北海道旅行をおこなった。
毎年、北海道旅行のテーマを設定しているが、今年は、「流汗」の学校を回ろう、だった。
訪れる学校には、廃校も含まれる。学校には、卒業生の思い出が詰まっている。特に、名物となっている学校を回ることは、その息吹を感じることができて、とても興味深く、かつ楽しい。現在住んでいる山形市から朝日町に行くまでの間にある山辺町立鳥海小学校と中(なか)中学校は、閉校して10年程度経過しているが、その校舎を見たくてたまに立ち寄ることがある。写真も撮る。もちろん、校舎の中には入らないが、外から校舎の中を見ると、教室の黒板に「ありがとう、わが学び舎。みんな、ありがとう。」などという板書された言葉が見えたりする。また、後ろの黒板には、いろいろな注意書きやポスターが貼られていたりする。まさに、最後の授業が終わったばかりの風景が、そこにある。
北海道常呂高等学校の校訓は「流汗克己」である。汗を流す、それによって己に克つという意味だろう。素晴らしい校訓である。意味が明快で、訳のわからない校訓より、遙かに優れていると思う。わたくし的には、流汗という言葉にグッとくる。サロマ湖の近くにある常呂高等学校に実際に訪れた。お盆ということで、もちろん授業や部活動は行われていなかったが、陸上で国体に出た生徒の垂れ幕がグラントのフェンスに掲げられていた。生徒数も少ないのに、頑張っているなあと改めて思った。
流汗という点では、北海道留萌高等学校は旧制中学の流れを組む「流汗悟道」という校訓である。数日後に留萌市の留萌高等学校にも訪れた。ところが、閉校されていた。グランドは草がボウボウと生い茂り、駐車場のアスファルトの隙間から雑草が伸び放題になっている。赤茶色の帽子を被った白い4階建ての校舎は眩しかった。堅牢で白い建物と荒涼として荒れ放題のグランド、そのコントラストにとても寂しい思いをした。今年4月に留萌千望高校と併合した。流汗悟道とは、汗を流す、それによって道を悟る、という意味だろう。これも、唸らせる言葉である。この校訓を持つ高校は、全国に多い。「流汗拓道」の校訓を持つ北海道札幌東豊高等学校へはルートが取れなかったので行かなかったが、この校訓も素晴らしい。また、「流汗求道」の校訓を持つのは北海道津別高等学校である。網走市から内陸に入ったところに学校がある。
校訓は、開学当初の校長や創設者が、我が信条や信念を言葉として表したものが多い。流汗という言葉は、とりわけ今の時代に最も必要とするものだと思う。現代においては、ともすれば、楽な道に走ろうとする。苦労せずにカネを稼ごうとする。面倒なことを避け、自分さえよければと思う。自らは汗を流さず、他人を利用して生きていくことを考える人が多い。自主独立するためには、自ら汗を流さなければならない。年齢や地位は関係ない。政治家であっても、経営者であっても、年取った人であっても、自ら汗を流さないのは、人生の敗北となるだろう。その汗は、体から発汗するものだけでない。心でも汗をかく。悩み、悶え、なんとか身をよじって、切り開こうとする、その苦しさの中にこそ、価値がある。カネを得て地位が高くなり、また、老人になって、一丁上がりで、何の努力もなく、過ごせる人生を選ぶのは、「流汗」の精神に反する。そういう人生を選択しない。悪戦苦闘する中にこそ、道があり、己(人生)に克てるのだと思う。
平成30年8月24日 仕事で「汗を流す」のは気持ちがいいぞ! 公認会計士 村山秀幸