北海道への車旅では、毎回のごとく、ニッカウヰスキー余市工場に行く。ニッカウヰスキーの「ニッカ」の名前の由来は何か。これは、大日本果汁株式会社というジュースを作る会社の名称が、略されて「ニッカ」となったのである。もともと、当初からウイスキーのみを製造する会社ではなかった点に、創業者、竹鶴政孝の苦労があったと想像できる。
ニッカウヰスキーのエンブレムは、以下のような紋章である。
全体的に見ると、英国風ではあるが、細部に目をやると、狛犬(こま犬)と兜(かぶと)と元禄模様という極めて日本的なデザインとなっている。これは、竹鶴政孝が考案したものである。余市工場内に展示されている第1号ウイスキーのボトルにも刻印されている。
この中で、狛犬は邪を払う意味を有しているのに対して、真ん中上段の兜は何を表しているのか。これは、鹿の角を持つ兜であり、戦国時代、中国地方の尼子氏(あまごし)に仕えた武将、山中鹿之助のものである。その生涯を滅亡した主家の再興にささげた山中鹿之助は「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」とあえて試練の道を選んだ人物である。
このようなデザインを選んだ竹鶴政孝の「純国産ウイスキーを造る」という強い決意と創業後にさまざま降りかかってくるであろう試練への覚悟をしていたことを、われわれは、はっきりと読み取ることができる。
ニッカウヰスキーの工場としては仙台工場・宮城峡蒸留所がある。昭和42年、父・竹鶴政孝の命を受け、余市工場の次の新たな蒸留所の予定地を東北の山間に探していた竹鶴威(たけし)は、広瀬川沿いの清流を発見する。この地に次の蒸留所を造ると即断し、2年後に完成した。この清流の名は「新川(にっかわ)」。運命的な縁を感じる。この工場はレンガ色の40余りの建物から成り、できる限り自然を壊さないことにこだわった工場となっている。政孝は樹木の1本1本に「切るな」と印をつけて回り、結果、迂回した道は工場内で優雅なカーブを描き、地形を変えぬためにそれぞれに独立した建物は、どれ一つとして同じ床高のものがないという。美しい自然がおいしいウイスキーを造るという哲学がある。
宮城峡蒸留所もとても美しい工場であるが、それよりもっと格調高く古(いにしえ)を感じさせるのが余市工場である。工場のいたるところに見ることができ、また、ウイスキーのボトルにも刻まれているエンブレム。これを見る度に、ニッカウヰスキーを創業した竹鶴政孝の矜恃と哲学を感じるのである。
平成28年8月18日 ウヰスキーボトルと青空はよく合う 公認会計士 村山秀幸