岩手が生んだ素晴らしい童話作家である宮沢賢治の作品に、このタイトルの小品がある。

 宮沢賢治の多くの作品の中で、私が最も好きなものがこれである。

有名な作品には、「銀河鉄道の夜」、「風の又三郎」、「注文の多い料理店」、「よだかの星」などがあり、これらは知っている人も多い。しかし、虔十公園林という作品は、あまり知られていないと思われる。あらすじは、次のようである。

   縄の帯を締めた虔十(けんじゅう)は、青ぞらをどこまでも翔(か)けて行く鷹(たか)や風がどうと吹いてぶなの葉がチラチラ光るのを見たりするのが大好きで、ひとりで嬉しくなって笑ったり手をたたいてはみんなに知らせる。しかし、そういう虔十を見て子供たちが馬鹿にして笑うので、虔十は嬉しさを隠そうとして無理やり口を大きくあき、はあはあとおかしな笑いでいつもごまかしていた。

   ある時、家の後ろの野原に杉を植えたいから、杉苗を700本買ってくれと虔十が言う。兄はあそこは杉を植えても育たない土地だと言うが、父親はそれまで何かを買ってくれと言ったことのなかった虔十が言うことなので、買うことを認めた。

   虔十が野原に杉苗を植えると近所の人たちは、あんな所に杉を植えても底は硬い粘土だから育ちはしない。「やっぱり馬鹿は馬鹿だ」などと嘲笑した。実際、杉が伸びたのは5年目までで、7、8年たっても9尺くらいにしかならなかった。そんな具合で普通には伸びていかない杉の木なのに、ある百姓が虔十に枝打ちはしないのかと冗談を言う。それを真にうけて虔十は下枝を払ってしまい、上の方の枝は3、4本しか残らない寂しい状態になる。そして林の中はがらんとした広がりができる。

   翌日、林から子供たちが大勢さわぐ声が聞こえ、虔十が行ってみると、下枝がなくなってがらんとして並木道のようになった林に子供がたくさんやってきて、木の間を喜んで行進しているのだ。それを見て虔十も喜んではあはあと笑う。やがて虔十はチブスという病にかかって死んでしまうが、林ではずっと子供たちが世代を超えて遊び続ける。

   長い年月がたち、子供の頃、虔十の林で遊んだ人が大学教授になり15年ぶりに故郷に帰ってきてみると周囲の光景は都市化してすっかり変わっているのに、虔十の林は昔のままでかつてと同じように子供が楽しそうに遊んでいる。それを見て大学教授は虔十のことを思い出し、校長に、「ああそうそうありました、ありました。その虔十という人は少し足りないと私らは思っていたのです。いつでもはあはあ笑っている人でした。この杉もその人が植えたのだそうです。あゝ全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません。たゞどこまでも十力(じふりき)の作用は不思議です。ここはいつまでも子供たちの美しい公園地です。どうでしょう。ここに虔十公園林と名をつけていつまでもこの通り保存するようにしては。」と提案する。この背の低い虔十の林のおかげで遊び場が提供されていたこと、今の自分があることを悟る。その話が広く伝わり、碑が立つと、かつて虔十の林で遊んで立派になった大人たちから多くの手紙や寄付が学校に集まった。

 ある時代の常識や学問が正しいと考えていることも、長い目で見ると、大きな偏見にとらわれていることがしばしばある。「虔十(けんじゅう)公園林」は、周囲の人たちから少し足りないと思われていた虔十がじつは生き物や雨や風から多くを感じとることができる人で、後の時代の子供たちに優れた贈り物を残したという物語である。誰が賢く、誰が賢くないかは、その時は分からない。人が判断するのでなく、年月が判断するのだ。「本当の知恵とは何か」。いわゆる知恵遅れの虔十の行為が、事実として、多くの偉人を育み、最終的に地域に多大な貢献をもたらした。

   「本当のさいわいが何たるか」をわれわれに教えてくれているのである。

平成28年4月18日  名作って心がふるえる、感動する!  公認会計士 村山秀幸