何度も同じ本を読む
いつからかは覚えていないが、不動産関係の協会の研修講師を引き受けている。
その研修は、宅地建物取引士の免許更新のためのものであり、4半期に1回、すなわち年4回開催される。使うテキストは不動産に関する税務の知識を集約したもので毎回同じで定まっており、およそ200頁程度のものである。
12月9日にこの研修があるので、久しぶりに、この研修テキストとして指定されている本を読んだ。何度も読んだ本であるので、高をくくっていて、8日の夜に、事務所から自宅に戻ってきてから、読んだのである。
すると、今まで気づかない点に気づいた。読み方を変えた訳でない。ただ、意識的に「丁寧」に読んでみようという気持ちになって読んだのである。この気づきは、重要な部分として、2箇所あった。似たような制度があって、この制度の違いを明確に意識することができたことと、ある税務上のルールと別の税務上のルールの整合性について一部抜け道的な取扱いができることを発見したことである。この気づき箇所については、あまりにも基礎的な分野であるため、今さら気づきを得たことに我ながら驚いた。そして、さらに詳しい本で本当にそのような取扱いでよいのかを検討しようと試みた。
しかし、ダイレクトにそのような取扱いについて具体的に書いてある本はなかった。そうこうしているうちに、8日の午前0時を回って、9日の午前3時を回っていた。
とりあえず、9日の研修で話す内容を決め、そしてそれをスラスラと言える状態にする必要がある。これが優先だと思ったが、先の気づきの点に対する探究心は止まらなかった。結局、午前4時30分頃まで、そのテキストを読んだり、ほかの詳しく記述されている本を読んだりして時が過ぎていった。
今、このコラムを書く段になって、同じ本を何度も読む効用に、あらためて、その重要さ、大切さを感じている。不動産関係の税務分野の知識は、異なる領域、税務上の特例等が複雑で、知識として絶えず頭に入れて置く状態にすることは難しい。したがって、何度も読むことの大切さは、過去の知識を再度思い出し、かつ、忘れないようにする点にあるものと考えていた。しかしながら、そういうことはもちろんあるにしても、探求しようとする気持ちや更なる知識としての土台をしっかりしようと心がけることによって、新たな発見がある。
新しい分野の本を読むことの方が実は楽しい。なので、過去に読んだ本は、再度読む気にならないものである。すなわち、同じ本を何度も読むと飽きが来るのである。
これと同じことが、われわれの日常にないだろうか。改めて、いつもの見慣れた風景、身の回りにある物、人、街をよーく見てみよう。新たな気づきや認識があるかも知れない。
この気づきや発見を促す触媒としての役割を果たすのは、「丁寧さ」にあるような気がする。丁寧さとは、かみ砕いて、ステップを意識するということである。
「丁寧に」生きる。青空が美しいとか、手が動く、足が軽い、空気を感じる、などの感覚を大事にして、生きていることを自覚して生きるということである。
平成28年12月11日 心が忙しなくなる寂寥感つのる師走に 公認会計士村山秀幸