文章の力
私は、詩やポエム、短歌・俳句など、この手の文芸的なジャンルは、ほとんど読まないが、過去に何度かその力に感動したことがある。秋になり、気分が感傷的にもなったのか分からないが、あのときの詩を読もうと思って、家の本棚を探して、やっと発見した。
電車が川崎駅にとまる
さわやかな朝の光のふりそそぐホームに電車からどっと客が降りる
十月の
朝のラッシュアワー ・・・・・・
ホームを急ぐ中学生たちはかつての私のように昔ながらのかばんを肩からかけている
私の中学時代を見るおもいだ ・・・・・・・
さようなら
君たちともう二度と会えないだろう
私は病院へガンの手術を受けに行くのだ
こうした朝 君たちに会えたことはうれしい
見知らぬ君たちだが
君たちが元気なのがとてもうれしい
(『高見順文学全集』第5巻、講談社、1965年所収、「青春の健在」より)
この詩は、「『会計学講義』(1998年1月30日初版)醍醐聰著 東京大学出版会」の第13章 連結会計の冒頭に記載されている。「会計学講義」は会計の論理が明快に説かれているとても良い本であるが、論理の積み重ねを追っていくと右脳を使うため、たまに左脳を使いたくなる。そのとき、このような詩があると余計にグッとくるのかもしれない。
ついでに、もう一つの感動した詩を以下に掲げる。
大漁
朝焼け小焼だ、 大漁だ
大羽鰯(おおばいわし)の大漁だ。
浜は祭りのようだけど、
海のなかでは何万の
鰯(いわし)のとむらい するだろう。
(金子みすず詩集 より)
この「大漁」という詩を、北海道小樽市の歴史建造物である鰯(いわし)番屋の年寄りの管理人も知っていた。過去の鰯の取り過ぎが、現在の鰯の不漁の一因になっていると言った。
平成29年9月29日 読書の秋だなあと思う日々 公認会計士 村山秀幸