山形市の村山公認会計士事務所|経営サポート税務相談 税理士

コラム

コラム

1年の計

 私は、昭和61年10月1日に監査法人に22歳で就職した。合併したての監査法人であったため、合併前の旧組織が「一業」、「二業」という名称で2つに分かれており、私は、「二業」の中の第4部門に新人として配属となった。その当時、私のいた部署、第4部門は40名ほどのこぢんまりした、しかし、優秀で尊敬できる人たちの集まりであった。私のくそ生意気な態度と空気を全く読まない言動に多少の戸惑いやいらだちを見せながらも、上司や先輩方は和やかな雰囲気で仕事や業務内容をわかりやすく丁寧に教えてくれた。

 昭和62年1月の寒い時分であったと思うが、監査法人執行部トップのワン、ツウの2人が、第4部門に合併後の法人運営の方針などを説明してくれることになった。このような機会は今までほとんどなかったとのことであったが、私は、大きな組織トップとしては、意思徹底のためには半ば当然だと思っていた。当日夜、私の部署全員が会議室に集められた。私も「会計士補」という身分ではあったが、その中に含まれていた。

 トップ2人が、監査法人の将来計画に関して具体的な数字を用いて話し出した。ところが、このトップ2人は、「二業の売上については、・・・。」「二業の利益については・・・。」と、必ず、枕詞のように「二業」と入れて説明した。そこで、適当な間があったときに、私は、いきなり、「監査法人全体の数字を用いて、売上や利益を説明してもらえませんか。」と抜き打ち的に質問した。「私は昨年入社だが、二業に入社したのではなく、法人に入社したのだから。」と言い、また、「法人のトップとして説明すべきは、まず、法人全体の数値、その次に部門の数値であって、法人全体の数値を言わずに二業の数値を言うのは、トップの意識ではなく、部門長程度の意識レベルだ。」と付け加えた。

 この発言に、トップ2人、聞いていた先輩方は、唖然、騒然となった。

 トップ2人は、この質問に答えるべく、資料を取り寄せるため、総務部へ内線電話を掛け、また、二業のみの説明を行ったことについて言い訳的な説明をし始めたので、さらに、私が「トップとして、法人全体の売上高の数値も頭に入っていないのはおかしいのではないか。」とたたみかけた。

 この言い方は、トップである彼らを痛く傷つけたと思う。また、第4部門の多くの上司や先輩方からも相当な注意を受けた。私の発言が、不用意で、生意気で、思い上がったものである、と。年齢も近い親しい先輩からは、「お前は何様で何者だ」と詰め寄られたため、「俺は、村山だ」と負けずに言い返した。ここまでは、覚えている。

   が、その後、この会合(法人運営の説明会)がどのようになったのかは、現在、忘れてしまって記憶がない。

   しかし、その後の私の仕事は格段に忙しくなった。また、言葉遣い、社会人としての振る舞い、礼儀を口酸っぱく教えていただいた。今でもこの監査法人、諸先輩方にとても感謝している。この監査法人を退職するとき、このときのトップの1人から直々に応接に呼ばれて、「会計全書」(分厚い会計分野の法令集)と金2万円をもらった。なぜ、私にくれるのかは不思議だったが、ありがたく頂戴した。しかし、この2万円は貰った直後に先輩方との麻雀ですべて摺ってしまった。

今年1月1日、第4部門の諸先輩の中の1人で、尊敬するY先生から、年賀状が届いた。

 年賀状には、「今年6月で監査法人を定年退職する予定です。」とあった。そうか、そんな年回りになったのか、とあらためて認識した。そして、生き生きとしたあの頃の情景や先輩方、同僚の顔が浮かんだ。

 今の自分は、あの頃のような輝きがあるか、損得や打算で生きていないか、無謀とも思えるような挑戦をしているか、何より自分に素直に生きているか、やりたいことを自然にやれているか、そんな風に考えながら、元旦という時間を今、過ごしている。

 平成29年1月1日 私の社会人のルーツを思い出しつつ   公認会計士 村山秀幸