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コラム

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賢者の贈り物

 この題名の小作品は、オーヘンリーの短編集にある。とても有名な物語だから読者の多くは知っていると思う。

 私が、今回紹介したいのは、この物語ではない。山形在住の実際の人である。

 以下は、日本経済新聞山形版に平成29年3月31日に掲載された記事である。原文のとおり。

免疫学の石坂氏  山形大が感謝状  1000万円寄付で

 山形大学医学部は30日、免疫学者の石坂公成氏(91)から1000万円の寄付を受けたとして感謝状を贈った。共同研究者でもあった照子夫人が山形大学医学部付属病院で18年にわたる闘病生活を送っており、医師、看護師らに感謝の気持ちを伝えるために寄付したという。個人としては多額の寄付で、山形大は教育・研究などに役立てる。

 石坂氏は米ラホイヤアレルギー免疫研究所名誉所長。1966年、アレルギー原因物質IgEを発見し、ノーベル賞候補の一人とされる。96年に帰国して夫人の故郷、山形市に移り住んだ。

 私は、この石坂公成(いしざかきみしげ)先生と実際に話したこともなければ、面と向かってお会いしたこともない。しかし、それでも、個人的にはとても尊敬している。

 というのは、私の配偶者が白血病で山形大学医学部付属病院に入院していたときの病室がとなりであったため、私が配偶者の見舞いに行ったとき、廊下を歩く姿を何度かお見かけすることがあったからである。

 当時の私の石坂先生の情報(病室内での伝聞情報)は、次のようなものであった。

 ・隣の病室の女性(石坂先生の奥様である照子さん)は難病で治癒できる薬や療法がないと言われているようだ。石坂先生はドクターなので、先生自ら、一生懸命に治療法を探しているらしい。(もしかしたら、以前の職をなげうって奥様のために尽くしているのかもしれない。)

 ・たまに、隣の病室にキチッとした紳士風の背広姿の数人が入室して、石坂先生といろいろと長時間、話をしているようだ。(単なるドクターではない。ただものでなさそうだ。)

 ・石坂先生は、奥様が病気になったとき、どこで過ごしたいかと聞いたら、生まれ故郷の山形ですごしたい、暮らしたいとの意向だったため、それを第一に優先して、山形に来たそうだ。

 ・山形に来られて(奥様が入院されて)、もう6年ぐらいになられるそうだ(伝聞当時の年数)。

 ・ずっと、石坂先生は奥様を看病していて、たいへんな愛妻家なようだ。

 私の配偶者は、今から約11年前に血液内科と言われていた10階東病棟に入院していたが、当時の私は毎日、配偶者のところへ見舞いに行っていた。しかし、正直これをずっと続けていくことは、さずがに仕事に支障がでるし、また、病院へ行くと、幼い子供である白血病患者など若い人が亡くなっていく現実に、やりきれなさや気持ちの疲れていくことを感じていたものである。

 このような中で、18年間も奥様を支えてきた精神力、また最後を山形ですごしたいという奥様の希望を最優先した人格者である先生には、本当に頭が下がる思いである。先生ご自身も高齢でもあり、お元気に過ごされてほしいと切に願うものである。

平成29年10月4日  我々が頂いたものは先生の生きざまである  公認会計士 村山秀幸