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コラム

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パラリンピックの精神

   グットマン博士は「パラリンピックの父」とされ、戦争で脊髄を損傷した人の治療を行っていた。この頃、脊髄損傷者のほとんどは3年以内に死亡しており、彼らは死ぬまでの間、世間から見放され、希望もなかったという。

   しかし、グッドマンがイギリスに病院を開業した頃から変化が起こった。グッドマンは、脊髄損傷を負った兵士たちをはじめとする障害者の治療にあたり、肉体面だけではなく精神面に注目した。

    今では一般的になっているメンタルにおいての「鬱状態」。当時はこの精神面に気づく医師が少なかったという。つまりこのグッドマンは、患者たちの心に気づき、サポートすることで希望を与え続けた。

 「決して再び歩けるようにはならない。死ぬしかない。」と言われていた脊髄損傷者の気持ちは計り知れない。それまで勤務していた病院では、脊髄損傷者たちはもう二度と歩けない、死ぬしかない、と言われるのが常だった。しかし、このセンターの看護婦たちには「大丈夫、私たちがあなたを立てるようにしますからね」と言われるようになった。

 グットマンは患者たちのことしか頭になかった。自分の患者たちを「人間」として扱い、彼らに耳を傾け、彼らには社会の片隅ではなく社会の真っ只中に居場所があるんだということを、世の中の人々になんとか理解してもらう方法はないかと考えた。

 1945年のある日、グットマンは突然ひらめいた。彼は患者たちが、杖を使ってアイスホッケーのパックを打っているのを見かけた。ほどなくして、患者たちはダーツやアーチェリー、スヌーカーの試合をするようになった。さらにグットマンは彼らを、車椅子ポロ(若干荒っぽくなりすぎたが)や車椅子ネットボールなど、チームプレーの試合をさせてみた。こうした試合を通して、患者たちは自分たちがまだ人間らしさを失ってはいなかったこと、自信を失う必要はないことに気づいた。

 やがてグットマンは、さらにもっとできることがあると考えた。1948年7月、ロンドンオリンピックの開会式と同じ日、グットマンは16人の退役軍人男女をアーチェリーの試合で競技させた。これが国際ストーク・マンデビル競技会の初回として知られている。これが、実質的なパラリンピックの第1回大会。

 現在の「パラ」リンピックと呼称されている「パラ」とは何か。多くの人が「パラリンピック」の「パラ」の意味を、下半身不随(paraplegics)から来ていると考えているようだが、本当はギリシャ語の前置詞で「並んで立つ」という意味があるそうだ。ここでは「対等」という意味を持っている。

 全てに通じる、パラリンピックの精神。パラリンピックの創設者グッドマン博士が提唱した、

「失ったものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ!」

 パラリンピックの精神は、全ての人の人生の灯火だと思う。

「ないものを数えるな、あるものを最大限に生かせ!」

 一度、真剣に想像するのも悪くない。目が見えなくなったとき、腕がなくなったとき、歩けなくなったとき。もし、そうなったとき、われわれは、少なくとも一度は絶望の淵に立たされるだろう。

 しかし、幸運なことに現在、私は健常者だ。だから、何でもできるということを認識しよう。

平成29年7月20日  あるもの、プラス面に意識を向けよう    公認会計士 村山秀幸

※ネットからの情報を繋ぎ合わせて、上記文章を作成しました。