整理する
整理すると気持ちがいい。
自宅の私の部屋にある全く稼働していない時代遅れのプリンターを処分した。自宅のデスクトップパソコンも処分した。専門雑誌も最近1年分を残して、すべてブックオフへ持っていった。その代わり、事務所で不必要になった机を自宅の私の部屋へ運び込んだ。
この机のテーブルが白くて、気持ちがいい。今も、このテーブルの上で、この文章を打っている。本棚の中の本で古くて使えそうにないものは、すべて捨てた。レジュメや使い切って用が済んだ資料も段ボールへ入れて、玄関口に置いた。捨てる準備である。そのおかげで、だいぶ本棚に空間ができた。この余裕のできた部屋で、考え事をするのは、とても気分がいい。こんな感じになるなら、早く整理しておけば良かったと思う。
もともと、捨てるのは罪悪という観念と根っからの貧乏性なため、断捨離ということが大の苦手だ。洋服を捨てるということはその中でも特に苦手で、おそらく、社会人になったときに締めたネクタイは、今も洋服ダンスにしまいこんであると思う。
しかし、前回の日曜日は、昔の背広の整理をした。これには、伏線があり、「洋服の青山」で昔の背広を下取り用に持って行くと、2万円引きになるというキャンペーンがあるために、着れるものと着れないものを実際に分けて、着れないものを青山に下取りに出そうとしたのである。昔の背広を実際に着てみたり、なんでこの背広を着なくなったかを確認すると、ズボンの膝下の特定の部分が擦れて、生地が薄くなって今にも穴が開きそうだからと理由のものが3セットあることが判明した。これは、なんとか修理できないかと考え、イオンの「マジックミシン」という服修理店に持って行って、修繕を施してもらうことにした。修理したところが、ちょっと生地の色合いが異なって、仕事で会っている人から奇妙に思われるかも知れない。そのときは、修繕したと率直に言えばいい。
背広の整理も、背広の置き場所が整理されたのと、全く着ることのなかった背広に焦点が当てられ、この背広を着る機会が増えることを意味する。要するに、背広にとってみれば私から着てもらうチャンスが増加すること、私にとってみれば多くの背広から選べるという選択肢が増えることになる。これは、両者にとって、とても良いことである。
考えてみると、「整理する」というのは、活用のチャンスを広げることにつながる。整理すれば、どこに何があるかが分かるから、目につきやすく、知らず知らずのうちに意識の中に取り込まれる。「清掃する」というのも、きれいになれば、その部分から目をそらさずに抵抗なく見ることになって意識の中に取り込まれる。私が台所に立つのが好きなのも、皿を洗って食器を整理することが好きなためである.おそらく、台所が汚くて食器も整理されていなかったら、好んで料理を作ることはないだろう。「整理する」、「清掃する」という作業は、ビジネス上の付加価値につながらないと単純に今まで思ってきた。しかし、身の回りをきれいにすることで気分が良くなり、また、整理対象物の活用のチャンスが広がるという意味では、十分に生産的な活動だと思えるのである。
平成27年10月26日 未だに便所掃除が嫌いな自分 公認会計士 村山秀幸